Davidson Academy School2005年10月04日 21:59

ダビッドソンアカデミースクールという公立校がネバダ州にできるというニュースリリースが本日あった。

http://presskit.ditd.org/2005_News_Releases/pr2005_Academy_OCT.html

この学校は中高一貫教育の、日本風に言えば、国立ネバダ大付属中高等学校ということになる。

それをなぜここで話題として取り上げることにしたかというと、この学校がターゲットにしている生徒が”Gifted Students”だからだ。

アメリカでは昔はできる生徒には「飛び級」という制度があって、まだ10歳くらいで高校に行っていたり大学に行っていたりなどという話を聞いたことがあるかと思う。今はそうしたことは基本的にやらないで、そのかわり頭脳の働きが特別な子を"Gifted program"というコースに入れて、特別な教育を施すようにシステムを変更したのだそうだ。

「頭脳の働きが特別」というのをどのようにして判断するかというと、まず知能試験のようなものを行うらしい。その成績が優秀な子のうち、その子の学校での学習態度を見て、例えば読書量がグレードレベルを秀でているとか、強いリーダシップを取れるとか、あるいは楽器、運動などに秀でているなどを合わせて評価し、決定するそうだ。

ただし、こうした選択はファーストグレードを修了した時点または5thグレードを修了した時点の2回だけのチャンスで、一回”Gifted Student"として選択されると、そこから抜けることはない。

サンノゼ学校区の”Gifted Program"のディレクタの話では、「Gifted Studentsはイコール勉強ができる子というわけではありません。物事の捉え方、考える方法が他の子と違うのです。それは運動能力が高いとかそういうことと同じようなもので、生まれついての能力の一つなのです。しかし、それは潜在的なものなので、それを伸ばしてあげる工夫をしなければ伸びていくことはありません」なのだそうだ。もって生まれたものは途中で無くなったりはしないのだろうけれど...

我が家の長男は、本人曰く「試験をすごくがんばった」成果か”Gifted Student"に選んでもらった。それは正直うれしいし誇りにも思う。しかし私はこのシステムは何か眉唾な感じがしてならないのだ。何か「マイナスイオン」とか「還元電解水」と同じようなレベルの科学のように聞こえてならない。

というのは、まず「知能試験」がIQ測定試験であるとするのなら、これについては心理学者の間でも「誤差が容易に発生する」「そもそも測定値と”知能”に絶対的な関係があるのかどうかも怪しい」などの意見もあるようで、それを絶対評価として何かの「能力」と結びつけて考えても良いのか、その点が私には疑問に感じる。

また、発達の程度は個々に差があるもので、例えばエジソンは小さいころはあまり勉強ができなかったというのはよく知られた話だ。

エジソンに”Gifted Students"の試験を受けさせればもしかしたら選抜されたのかもしれない。しかし、相変わらず成績が悪かったりした場合、「Giftedの子なのに」などと言われてそれがその子の負担になったりはしまいか?

まあでも今のところウチの子は”Gifted Students"だからといって特別な寄付金を請求されるなどということもないし、今の学校では他の子とまるで違うことを勉強するというようなこともないみたいなので、とりあえずはいいか、と思っている。つまり、学校の方も「だからどうした」程度の扱いなら、それが例え眉唾科学であっても何の影響もないと考えているわけだ。

しかし、こういう学校ができてしまうというのは、実は「だからどうした」レベルではなくて、アメリカとしてはもっとまじめに考えているということですね。もっとちゃんと考えたほうがいいのだろうか?

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