16日付San Jose Mercury News 8E面、”Youths express high hopes in tech"から
MITの調査では、これからの技術発展で社会が大きく変わっていくことについて、子供たちは大人よりもより高い期待を示しているようだ。
例えば、
2015年までにガソリンで走る車は、かつて馬車がそうであったように、他の物に淘汰されていると思うかという質問に対して、16パーセントの大人が「そうだ」と答えたのに対して、33パーセントの子供たちが肯定しているそうだ。
この調査は全米の500人の十台の若者と1030人の大人たちにインタビュー形式で調査したものだ。
他の質問では、22パーセントの子供たちが2015年までにディスクトップ コンピュータがなくなるだろうと答えているのに対し、10パーセントの大人だけが肯定している。
また、「技術の進歩によりいずれは飢え、水質汚染、疾病、大気汚染などの問題が解決する」という質問に対して、肯定する子供たちの割合はそれぞれ89パーセント、91パーセント、88パーセント、84パーセントだった。一方大人たちが肯定する割合はそれより低く、例えば飢えについては77パーセントだったそうだ。
一方で、2015年までに有線の電話はなくなるという質問に対して、子供たちは17パーセントが肯定したのに対し、45パーセントの大人が肯定していたそうだ。携帯電話が普及して既に有線電話より恩恵を享受している表れだろう。それだけ「大人たち」は現実に見えているものに対して信じるという傾向があるということだろう。
技術革新に肯定的な見方をしている子供たちではあるが、同じ調査の中で、「技術に興味があるか」という質問についてはわずか14パーセントの子供たちしか「Yes」と答えていないのだそうだ。女の子についてはこれがわずか4パーセントにとどまる。
また、「科学分野の勉強を続けて行きたいか」という質問については9パーセントの子供たちしか「Yes」と答えていないそうだ。
最近よく言われている科学離れがこの調査にも見られる。
では、子供たちが高い興味を寄せているのは何かというと、「芸術」そして「薬学」なのだそうだ。
新聞には書かれていないけれど、「高い収入」という「現実」に彼らの興味がつながっているのかも知れない。
これは単に「科学離れ」ということだけの問題ではなく、「いろいろなことに興味を示す」知識欲とか感受性とか、そういったことの欠如という問題であったりはしないのか。
あるいは自分たちの生活が十分満足できるもので、それが将来への「希望」、いいかえれば「こんなふうになったらよい」とか「こんなふうになりたい」という気持ちの欠落につながってはいないか。
そうならば、技術革新に期待する子供たちの割合は高くても、「放っておいてもそのうちそうなる」というとても受動的な感覚だったりするのかも知れない。
そういえば、ウチの子らも「未来の生活」みたいな絵を描いたのを見たことがないなあ。
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