日本街の総合施設に重要な転機 ― 2006年01月30日 21:00
30日付、San Jose Mercury News 1B面、”Japantown complex at key turning point"から
2005年12月5日の記事でサンノゼ日本街にあったドバシマーケットの閉店の記事を書いた。そこでは日本街も世代が移り行き、「日本人の町」から様相も変わってきたというようなことを書いた。
その日本街がこれからもあり続けるためにとても重要と思われる再開発計画が進んでいることをこの記事は紹介している。
記事の中身に触れる前に、サンノゼ日本街がどのようなところか、Googleの地図で見ていただこう。次のURLの先を参照していただきたい。
http://maps.google.com/maps?ll=37.348812,-121.89316&spn=0.00354,0.005976&t=h
場所はサンノゼ市中心街から2,3Kmほど北側に位置し、地図のJackson St.沿い、N4thからN6thの間のそれほど広くない場所がサンノゼ日本街だ。
今回再開発話が持ち上がっているのは、Jackson St.の北側、N6thとN7thに囲まれた場所だ。
ここは記事によると倉庫なのだそうだが、オルソン株式会社など複数社による共同事業体が買取、再開発する計画がこの火曜にも市の許可を得る見通しなのだそうだ。
この事業を進めるに当たっては、日本街の住民組合などとも十分な協議の元に進められてきているようだ。
開発の具体的な青写真は火曜の承認を得てから詰めていくようだが、劇場やレストラン、ナイトクラブなどが候補としてあがっていて、あるいはお茶室(それともカフェのことかな?)やカルチャーセンターなども考えられているそうだ。
とにかく、かつて全米でどのくらいの数あったのかわからないが、現在サンフランシスコ、ロサンゼルスとサンノゼの3都市にしか残っていない日本街の一つを残していこうという動きがあることは確かだ。
言い方が悪いかも知れないが、今の日本街は「化石化」していて魅力があるとはいえないが、この開発で街が若返り活性化すれば、地域は一気に活気が戻るのではないかと期待される。「日本街」にはそれだけのポテンシャルはあるのではないかと思う。
ところでこの開発対象地、記事によると倉庫になる前はチャイナタウンだったそうだ。
これは意外な過去だ。
そのチャイナタウンは一体どこへ行ってしまったのか?
サンノゼ市とその近郊はいたるところチャイナタウン状態だから、消滅したというより全体に拡散しただけ、ではないかと思うのだが。
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