日本代表vsUSA サッカー観戦記2006年02月11日 22:06

しばらくご無沙汰になってしまいました。

再開記事はいつものSan Jose Mercury紙の紹介ではなく、昨日行われたUSと日本のサッカーの試合について、その観戦記を書かせていただこう。

サンフランシスコで行われる日本代表の試合ということで、折角の機会なのでチケットをとってみてきました。 当初「SBCパーク」で開催というから49ersのホームグラウンドでやるのかと思っていたら、SFジャイアンツの野球場だったんですね。49ersのグラウンドは2004年からMonster Parkという名前に変わっていたようです。

しかし、野球場でサッカーというのはどんなことになるのだろう、特にアメリカメジャーリーグのグラウンドというのは大変偏った形をしているので、ちゃんとサッカーのコートがとれるのだろうか?観客席とプレーグラウンドが異様に遠いところができたりしないのだろうかと、行く前にはいらぬ心配をしていました。

ところが行ってみてびっくり、サッカーコートがすっぽり収まっていて、全く違和感がない。野球場と気がつくのは外野のファールポールと、ジャイアンツ球場のコカコーラの広告塔の横にある巨大なグローブのモニュメントくらい。

しかも観客席と選手が近い近い。

メジャーの中継をTVで見られると、外野席の観客がライン際に転がるファールボールに手を出している画でわかるように、メジャーの球場はフィールドにとても近い。

これまでいくつかサッカーの試合を見てきたが、これほど選手を間近で見れるのは初めてで、「野球場でやるのも案外いいな」と感心したものだった。

ところがいくつかのサイトで選手の感想を見てみると、照明がサッカー場には適しておらずキーパにとってボールが見づらい角度があるとか、スタンドの作りが変なので距離感が取りづらいとか、芝が滑りやすいとか、いろいろ問題があったようだ。

また、サッカーの規定の長さがとれなくて、実は寸詰まりのフィールドだったようで、そういったことを聞くと、やっぱり野球場でサッカーをやるのは無理があるのかなと、いまさらのように思う。

さて試合のほうは皆さんご存知のように3-2で日本代表は敗戦となった。

一部報道では日本代表はなすすべも無く完敗と言われているが、私はそのようには思わなかった。

まあ確かに、前半10分過ぎから40分までと後半15分くらいまでは代表はボールをキープできず、アメリカ代表のほぼ一方的な試合展開であった。

試合開始早々は日本もボールが回せて小野も機能していたが、その後USのプレッシャが強くなって代表はボールの出しどころがなくなってしまい、リズムもつかめなくなってしまった。

セルジオ越後氏は「激しく、厳しく本格的にプレスをかけられると、ボールを拾えない、奪えない、パスがつながらない。」と評しているが、確かにこうした問題は以前からあるように思われる。

それにしてもUSの激しいプレッシャと見事なボール回しにはびっくりした。

プレッシャの激しさはある程度これまでの代表戦からもわかっていたのだが、ボールを奪った後は前へ前へと単純に突き進むイメージが強かったのだが、この試合に限っては実に華麗なパス回しが見られ、今までのUS代表とは一風違う印象だった。

一方の日本代表、確かに前半の大半は圧倒的なプレッシャでミスも目立ち、全く攻撃にならなかったのだが、チーム全体が「小野」「久保」の中央ラインを意識しすぎていた感があり、そのため全体にどう攻めどうカバーするかがちょっとちぐはぐになっていたような感じがした。この点は中村や中田が入ってくれば修正できる点だと思われるし、まあいいシュミレーションになったのではないだろうか。

SBCパークでの代表戦。オリンピックの開幕日に当たっていて果たしてどのくらいの人が集まるのかと思っていたが、ふたを開けてみると3万7千強の観衆で、半数以上がUSチームの応援のようだった。

さすが世界ランク7位。

USのサッカーは以外に底が知れない。

カリフォルニアはプリスクールにお金を出すべきか?2006年02月13日 23:59

一日前の新聞記事になってしまったが、12日日曜付けSan Jose Mercury News 1A面、"SHOULD CALIFORNIA PAY FOR PRESCHOOL?"から

アメリカでは5歳からKindergarden、つまり幼稚園の義務教育が始まり、高校卒業のGrade 12まで義務教育期間が続く。

しかし義務教育とはいえ高校になると卒業試験に合格しないと卒業資格を得ることができず、結局「高校中退」ということになってしまっている人も少なくはないと聞く。

さてある調査によれば、プレスクールに通った経験のある子は、経験のない子に比較して、留年や高校中退、あるいは犯罪に関わる比率が低い、らしいのだ。

そこで、「州の4歳児は全て、無料でプレスクールに通えるようにしよう」という住民投票が6月に行われる見通しなのだそうだ。

ここでちょっとアメリカの幼児教育について薀蓄を傾けると、Preschoolは概ね3,4歳を対象にした「保育園」のような存在だ。中には1歳や2歳からでも預けられるところもある。そうしたところはDay Careという呼び方を使うのが一般的だけれど、必ずしもそうとは限らない。あるいはNurseryと言ったりもする。

4歳児を対象としたPreschoolはPrekindergardenと呼ぶこともあって、公立の小学校に併設されていることもある。

日本語でPreschoolとかNurseryは「保育所」、Day Careは「託児所」と訳されることが多いようだが、Preschoolでもあまりアカデミックなことはやらずに子供たち同士を遊ばせることに時間を割いているところもあり、Day Careでも幼児教育に熱心なところもあり、呼称とイメージが必ずしも一致しない。

アメリカで子供をPreschoolに通わせたいと思った場合、候補として考えるところがどんな方針で運営されているか、どんなカリキュラムでどのようなスタッフがいるのかなどを十分に吟味した上で、自分の考えにできるだけマッチするところを選ぶ必要がある。

さて閑話休題

近年幼児教育に対する重要性が増して来ており、子供をPreschoolに通わせている家庭も増えてきている。

統計によると1965年にはわずか6.6%の4歳児がPreschoolに通っていたのに対し、2003年には61.3%がPreschoolに行っているそうだ。

しかし、通園者数には民族格差があるとMercury Newsは指摘していて、2000年の国勢調査を基にした独自の調査によれば、サンタクララ郡の59%の4歳児がPreschoolに通っている中で、ヒスパニック系ではわずか43%にとどまっているのに対し、白人では75%が通園しているという結果だったそうだ。

これには、例えばプレスクールの高い通園費を払えないという貧富格差、二親とも働いている家庭において子供を預けている時間と就労時間が合わないという家庭環境の問題、車での送り迎えができないという問題などが関係しているのではないかとMercury Newsは指摘している。

また多くのプレスクールは定員一杯で空き待ちをしないといけないという現状もある。

そこで少しでも多くの子供たちをPreschoolに通わせようと、無料Preschoolの案が検討されているわけだ。

財源としては高所得者の所得税増税で宛てる事が提案に盛り込まれるらしい。具体的には年収40万ドル以上の所得に対して税金を上げ年間で230億ドルの税収増を見込んでいるようだ。この財源を元に、全ての4歳児に平日毎日、一日3時間の教育を施すことを検討しているようだ。

もちろんこうした増税案に反対しているグループもいるし、既にあるプレスクールからも不公正な競争をもたらすとして無料プレスクールそのものに反対意見が出されている。

ちなみにプレスクールを「義務教育」として提供しているのはカリフォルニアが始めてというわけではなく、既にジョージア州、オクラホマ州、フロリダ州などいくつかの州では実施されているようだ。

私も幼児教育の重要性については理解するけれど、プレスクールの無料化というのは他に優先して行うべきことなのかという点については疑問だ。特にカリフォルニアの場合、こうした話題の中心にはやはりラテン系の人たちが出てくるのだけれど、こうした人たちの子女教育には他にもやるべきこと足りないことがたくさんあるように思えるのだが、どうだろうか?

電報の時代の終焉2006年02月14日 23:59

今日はバレンタインデーでした。

日本だと女性が思う人にチョコレートを贈る日だけれど、アメリカではお互いプレゼントを贈りあう日だ。いやもしかすると男性から女性に贈られるプレゼントの方が多かったりするかも。

我が家も例外ではないですよ。

私はしっかり、お花を買って奥様にさしあげましたよ。

一方の奥様の方は「ハート型のカレーライスね」って、晩御飯かい!

目玉焼きとかがハート型に凝った形はしていたけれど、子供たちも同じものを食べているジャン(泣

まあでも世の中そんなもんでしょう。お店のお花コーナーも、恐らく同じ身の上の男性陣が結構たむろしておりました。

日本だとこういう”目出度い日”には「祝電」の一つも打ったりするのかも知れないけれど、アメリカでは祝電という習慣はないようだ。

というより、電報サービスそのものがなくなっちゃったんだって。

MSNBCのニュースサイトによると、米国で電報サービスを行ってきたWestern Unionが1月末でその配達サービスを終了させたということだ。そのニュースはこちら。

http://www.msnbc.msn.com/id/11147506/from/RSS/

150年以上もの歴史のある電報サービスは、特に長距離の通信手段として1920年代、30年代に多く利用されていたようだ。

その当時の面白いエピソードが紹介されていて、電文ではアルファベット以外の文字は特別料金がかかったので、文章の最後を「点(アポストロフィ)」で終わらすのではなく”STOP"という文字で終わらすのが流行ったらしい。文字数は4文字増えるが、そっちのほうが安かったらしいのだ。

長距離電話の料金がどんどん下がってきて、またインターネットの台頭とともに電報サービスの利用者も減ってきて、昨年は2万通の配信、しかもそのほとんどがビジネス用途だったのだそうだ。

まあ、時代の移り変わり、ということでしょうか。

Western Unionという会社は別になくなってしまうわけではなくて、今後はお金の振込み通知などのサービス、「電信振込み」ってやつですな、などに特化するそうだ。

日本の電報サービスもそのうち同じような運命をたどるのだろうか?

それとも、「祝電」「弔電」など文化として存続していくのかな?

まあ確かにemailで「サクラチル」なんて受け取っても、味気ないしな。