それって「民族的」要因? ― 2005年12月09日 14:11
AkamaさんのBlogの記事に触発されて、自分の方にも書いてみることにした。
「日本人」vs「アメリカ人」
いやいや太平洋戦争の話ではなくて、サッカーの試合の話でもない。
(そういえば今度、サンフランシスコで代表戦をやるって話があったはずだが、その後どうなったんだろう?)
ほら、「日本人」たら、何事にも消極的で、慎重すぎるほど慎重で、重箱の隅をつまようじでつつくように問題を掘り出そうとして、掘り出す問題が無くなってもまだなかなか一歩を踏み出せない、なんていわれているじゃないですか。
まあ、自分自身「そんなだよなあ」って思うわけですが。
一方「アメリカ人」は、何事にも前向きで、ポジティブシンキングで、「いじいじ考えてないで、まあとりあえずやってみようよ」なんて、ヤンキーなやつらだと言われてますよね。
まあ実際、つきあってみるとそんな風に思うことしばしなわけです。
それでね、私がアメリカ人とミーティングをするときの3カ条、
「しかめっつらはしない」
「それはだめだ、は言わない」
「黙り込まない」
考えてみりゃ、私は日本の会議、特に部長とか上司が参加する会議って嫌いでねえ、みんなしかめっ面だし、「そりゃあだめだよ」なんて言われちゃうし、ちょっとは「こうしたらどうだ」って言ってみろよって思っていたねえ。
でもそういう私も、「そこんとこ、こんな風でおかしいんじゃないですか」なんて意見していたわけで、ああ、だめだこりゃ。
それはともかく「3カ条」。アメリカ人といっしょに仕事をする時にはとても大事なことだと思いますよ。特に「しかめつらはしない」というの。
ミーティングの前にね、一回深呼吸してそれからちょっと微笑みを作るの。
そうすると、考え方がポジティブ志向になるわけね。
でも、「かっとびヤンキー」になって「なんかわかんないけど、とりあえずやっちゃおうか」にはならないんで、心配無用です。根は日本人ですから。
でミーティング中は、「あ、なるほどね。ところでこういう場合はどうするのかな」とか、「それはいい考えだね。じゃあ、こっちの考え方と比較してみようか」っていう感じで、心配事をちくちくほじるわけですよ。
そうそう、微笑みは絶やさないように。
ところがね、「よーしじゃあこれでいきましょう。よろしくね」とミーティングが終わっても、安心できないわけで、数日して「あの件どうなった?」って聞くと、「やってみたらこういう問題がでてきちゃったんで別の方法で進めようとしているんだ」なんて
おいおい、その問題はミーティングでしっかりつついたじゃん
というのはぐっとこらえて、ほほえみ、ほほえみ...
「3カ条」を使って、またおさらいミーティングをするわけですよ。
それにしても、腰が軽いというのか、諦めが早いというのか、もうちょっと考えればすっきり解決するじゃないかよ。おっと、ほほえみ、ほほえみ...
ところでこのペシミスティックだったりヤンキーだったりするのって、「民族的」なものなのか、「生活環境」によるものなのかって、考えるわけですよ。
我が子供たちをみながらね。
つまりこいつら、重箱の隅をつつく「日本人」に成長するのか、ヤンキーな「アメリカ人」みたいになっちゃうのか?
今のところは、長男君は結構細かいな。一番下の娘はおおらかで細かいことは気にしないな。まあこの娘はアメリカ人だし(国籍が)。真ん中は、正体不明。
まあ親としてはね、慎重なところを持ち合わせながら前向きに、フットワークは軽いけれど粘り腰もある、そうなって欲しいなあと思ったりもするわけですよ。
超、期待過剰。
そうそう、「民族的」ということではこんな小話があるのを知っています?タイタニックが沈み行くなかで、イギリス人、ドイツ人、アメリカ人、日本人の乗客を海に飛び込ませるためにどうやって説得させるか。
結構笑えます。
イギリス人に、「紳士なら飛び込むべきです」
ドイツ人に、「船長命令です」
アメリカ人に、「今ならヒーローになれますよ」
日本人に、「他のかたがたも飛び込まれていますよ」
では、また
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