色あせたおんぼろ車がどこまでも進む2006年01月21日 20:08

21日付San Jose Mercury News 1A面、”Faded jalopies go for miles and miles"から

こういう記事が紙面のトップを飾るところがSan Jose Mercuryのアットホームなところというか、田舎新聞というか、読んでいて止められないところだ。

とってもかいつまんで記事を紹介すれば、トニー クルージさんの乗っている1982型トヨタセリカが60万8676マイルを走破してまだ現役ばりばりだ、というもの。

で、何か事件があったかって?

いえ何も。ただそれだけ。

でも60万マイルというのはすごい距離だよ。どんなにすごいかというのが記事で紹介されていて、アメリカの東西だと120往復分、地球なら24周分、月との往復では1.5往復になるそうだ。

他にも、40万マイルを突破している車の情報とか、30万マイルを突破しているとか、そんなメールがぞくぞくSan Jose Mercuryに届いているそうだ。

というのも、San Jose Mercuryの人気シリーズ、Mr. Roadshowがクリスマスの前に記念すべき20万マイル走行を突破したという記事を載せたところ、多くの反響があって、「乗っている車が何マイルを走破した、その間にこんな思い出がある」という話がどんどん寄せられているのだ。

Mr.Roadshowのシリーズというのは、信号の点き方が変だとか、道路が穴ぼこだらけだとか、カリフォルニアンの運転はダメだねとか、車を中心とした交通に関する話題のQ&Aのコーナーで、私も大概は目を通している。でもこの記事は見落としていた。

でも20万マイル突破のコラム記事、Mr.Roadshowが「これほどの反響があったのも初めてだ」というもの、ここから読むことができる。英語だけど、是非一読あれ。

http://www.mercurynews.com/mld/mercurynews/news/columnists/13412126.htm

英語を読むのは面倒だという向きに、本当に余計なことなのだけど、超抄訳をつける。

「いつも通っている高速道路880のコールマン通りを過ぎたところで、この間ちょっとしたマイルストンを通り越した。

我が1989年式ホンダアコードが20万マイルを突破したんだ。

私は別に車オタクというわけではないし、本当のことを言うと10万マイルを超えてペンキが剥がれてきたときに買い替えも考えたことがあったんだ。

実を言うとこの車も最初は買うつもりさえなかった。ディーラのショーウインドウでこの車を見て、何かその気になったんだ。5歳の娘も前の照明が飛び出すのを気に入ってたしね。

それから16年、本当にいろんなことがあった。このハンドルには思い出がいっぱい詰まっている。

家族とともにいつもこの車があった。幼稚園児だった娘もいまでは大学生だし、赤ん坊だった息子ももう高校生だ。

娘が免許証をとって最初に運転した車もこれだった。二日目にしてバンパーをぶつけた。十代の運転の危うさを知ってもらういい機会になったよ。

野球とかバスケットボールの練習の後に、息子とソーダを飲みながら、車の中で人生のこととかを話し合ったこともあったっけ。

妻と二人でドライブして、結婚記念を交換しあったこともあった。

サンルーフを閉めるのを忘れて、中が水浸しになってしまったこともあった。今では笑い話にすぎないけれど。

娘にはこの車を運転して欲しくないんだ。いつ止まってしまうかもわからないし。エアバックだって付いていない。馬力もないので高速17号の急な坂を上るのはたいへん。窓も隙間風が吹き抜けて冬はとっても寒いんだ。サンルーフも水漏れがして、激しい雨の日には滝みたいに雨漏りがするほどなんだ。

そんなのも、私や息子にはちょっとうれしかったりするんだ。妻には理解できないことみたいだけど。

こんな車車検を通るの、って言う人もいる。今のところはちゃんと通っている。去年の夏はちょっと心配だったけど。

知っている人たちの中には15万、17万、あるいは19万マイルを超えた人たちもいる。そういう人たちと愛車は切っても切れない関係みたいだ。私もそういう人たちの気持ちがわかるような気がする。

いままで本当に多くの時間をこの車とともにしてきた。今ではどんな思い出もいい思い出だ。

このポンコツ車があとどのくらい走れるのか、それは知らない。1年か2年くらいかも知れない。

本当はね、ハイブリッド車に気持ちが傾いたこともあった。でも新しい車が来たら、すごく悲しい気持ちでいっぱいになるんだろうなと思った。ポンコツアコードが動かなくなったら、家族の思い出の数々もそこで止まってしまうんだろうな。

それを手放したくない、そう思ったんだ。」