州の地球温暖化防止への目標未達の危機 ― 2005年12月06日 12:11
本日付San Jose Mercury News 1A面 ”State risks missing goals to lessen global warming"から
環境問題については、諸外国の取り組みに比較して、アメリカは京都議定書の批准を拒み続けるなど、あまり積極的とは言えない姿勢が感じ取られる。リサイクルにしても、日本やドイツなどの細かい分別に比べてアメリカの適当さに、環境に対する意識の低さを思わずにはいられない。まずアメリカで生活を始めて驚くのが、生ゴミを砕いて水に流してしまうディスポーザーという代物だ。
しかし環境問題はアメリカでも決してなおざりにされているわけではない。以下記事の内容。
半年ほど前、シュワルツネッガ知事はカリフォルニアの二酸化炭素排出量を2020年までに1990年と同じレベルにまで下げるという目標を示した。そしてこの目標を達成するための活動委員会を設置した。
今週はその活動委員会によるアクションアイテムの提言書が提出されることになっている。また今日はスタンフォード大学にて、知事の環境問題の顧問と前の副大統領アル ゴア氏による環境問題についての講演会があるそうだ。私は出ないけれど。
実は先週、別のグループによる「待ったなし」と題する環境問題に関するレポートが発表されていた。それには「排気量の削減は企業にとっても支出削減につながる」と述べられているものの、二酸化炭素排気量の予測値については暗澹とした見かたが示されている。現在の排出水準のままであっても、2020年には12%の増加になってしまうということだ。現在の水準とは、全米レベルと比較して、カリフォルニア住民一人頭の排出量は既に約半分の量なのだそうだ。
なかなか言うは易し、するは難しの状況なのだが、活動委員会のレポートの中で触れられると目されている案があるそうだ。そのキーワードは”cap-and-trade"だ。 capというのは「上限」tradeは「商取引」で、「上限を設け、それを取引できるようにする」という案だ。
つまり、工場などの二酸化炭素排出量の多い企業などに対して一律の排出制限値を設ける。これが"cap"だ。この排出量は測定器などを用いてしっかりと監視するのだそうだ。排出量が基準値以下に達した企業については、その差分を他の企業に売り出すことができるようにする。これが”trade"だ。つまり、一律の排出制限を守れない企業は、基準値以下の企業から”排出量”を買い取ることで排出制限値を超えてもよいということにする。全体の排出量は削減される上に、削減に成功した企業にとってインセンティブになるという案だ。
これは何もカリフォルニア独自のアイデアではない。
実は昨年、合衆国全体でcap-and-tradeを推進するための法案が合衆国議会にかけられていたそうだ。提案したのは共和党のマケイン上院議員と民主党のリーバーマン上院議員だ。超党派の提案でしかも有力議員によるものであるにもかかわらず、この法案は否決されている。しかし東部ニューイングランド6州とニューヨーク、デラウエア、ニュージャージ州は共同の地域プランを近く提案することにしているようだ。
記事の内容は概ね、ところどころ私の”感想”も入っているが、以上の通りだ。淡々と書き連ねてみたが、「では自分は何ができるの?」と自問してみると「うーん」と考えてしまう。「アメリカは環境問題に対する意識がなっていない」と言うのは簡単だけど、自分自身が環境問題に何らかの貢献ができなくては単に「言うは易し」だけになってしまう。まずは身近なところから、「使わない電気は消す」とか、分別がいかに適当であっても「リサイクル品はしっかりとリサイクル箱に分別する」とか、見直さねば。
これを読んでくださったみなさん、特にアメリカに住んでいるみなさん、もう一度自分の環境問題について、見つめなおしてみませんか?
生誕時の市民権が共和党議員の槍玉に ― 2005年12月08日 18:27
本日付けSan Jose Mercury News1A面、”Citizenship at birth targeted by some in GOP”より
昨日に引き続き不法滞在者に関係する記事が載っているのでそれを紹介しよう。
保守系議員の間では、不法移民がアメリカで産んだ赤ちゃんのことを「命綱ベイビー(anchor babies)」と呼んでいるのだそうだ。というのもアメリカで生まれた子供は自動的にアメリカ市民権を得ることになっており、その子が18歳になると家族をアメリカによぶことができるからだ。
この市民権について共和党内で問題視されており、「アメリカ国内で生まれた子供でも親が不法移民の場合には市民権を与えない」法案が来週から下院議会で議論されるそうだ。ここでの「不法移民」とはどういう人が対象なのかについて記事には書かれておらず、この議論は後に回してまずはこの記事に書かれていることを整理しよう。
このような議論が生じている背景には、国境の警備を強化し不法入国を厳しく取り締まるブッシュ政権の政策が関係している。それにより、合衆国内の治安の維持のほかに、実はともかく米国民の雇用を保証するという政治的な狙いもあるようだ。不法入国の取り締まり(ひいては雇用の促進)は来年の大統領中間選挙の中心課題の一つと考えられてる。しかし民主党側からは、「アメリカで生活するためにアメリカで子供を産むなどとは現実的には考えられない」とし、この市民権の議論は「共和党の政治パフォーマンス」と言う声が出ているようだ。
ちなみにラスムッセンレポートによれば、米国民の49%が規制する案に賛成、41%が規制に反対しているそうだ。
実は、アメリカで生まれた子供は市民権を持てるというのは合衆国憲法に明記されている。憲法14条の追加条項には次のように書かれている。
「全ての合衆国で生まれたものあるいは合衆国に帰化したものは合衆国の権限の元に合衆国の市民である」
この条項は南北戦争の後、奴隷であった人たちに合衆国の市民権を保証するために付け加えられたとのことだ。歴史的に由緒のある条項なわけだ。
これに対し、対不法移民活動のリーダである共和党のタンクレード議員は、「そもそも不法移民には合衆国の権限は及ばない。それを明文化した14条の追加条項についても検討している」と述べている。
しかしながら1898年の最高裁の判断で、「市民権を得ることが禁じられていた中国人(当時は中国人は市民権を取得することが合衆国の法律で禁止されていた)の子供でも、アメリカで生まれた場合は市民権が与えられる」という判例があり、その中で裁判所は「憲法上、合衆国で生まれたということのみが市民権を得る必要かつ十分な条件だ」と述べている。そのため憲法解釈上規制はできないという見方も強くあるようだ。
以上が記事の概要だ。
さて、私の意見だが、「アメリカで生まれたものはすべからく市民権を得る」という条項の見直しについては、存続させようが廃止しようが特に意見はない。実は我が家の一番下の子はアメリカで生まれたのでアメリカ市民であるしアメリカのパスポートも持っている。もちろん日本国民でもある。それについては私は下の子の「特権」という意識でしかなく、「特権」が無いからと言ってそれがおかしいなどとも思わない。憲法の追加条項の歴史的意義は既にその役割を終えたと言ってもいいであろう。
しかし、この議論が行過ぎた移民規制になることを懸念したい。
アメリカは移民の国とはいえ必ずしも移民に広く門戸を開いているわけではない。特に近年、ブッシュ政権になってからは厳しくなっている。それはビザの申請をしても許可されなかったり時間がかかったりする点、永住権申請の条件の制限などなどに見られる。留学生の受け入れについてもいろいろと制限する動きもあるようだ。
一方スタートアップなどで働いていると、底辺のところではアメリカの技術力や経済活動を支える原動力となっているのは移民たちなのだということを感じる。つまり世界各地から優秀な人材が集まり、みなが成功の夢を抱いているからこそ米国内外での競争意識も高まっているのだ。いや、単に「優秀な人材」たちだけでなく、移民たちのアメリカンドリームがアメリカ全体の活力になっているのだと思う。
やはりアメリカは「移民の国」なのだ。
だから、移民に対して門戸を閉じるというのはアメリカ自身の首を絞める結果になりかねないのだ、と考える。「開かれたアメリカ」を基本とした政策を考えるべきではなかろうか。
さて「開かれたアメリカ」と言っても「不法移民」は排除されてしかるべきだという意見もあろう。しかしアメリカでの移民に対する各種法制度の議論から感じられるのは、「不法移民」とは必ずしも国境の壁をよじ登って不法に入国した「正規のドキュメントを持たない入国者」だけでなく、たとえばビザはあっても就労許可を持たないものなども含まれていることがあるように感じる。その一つの例が10月9日にこのブログでも取り上げた運転免許証の発行だ。
つまり「遵法入国者」であっても扱いが「不法入国者」と同じになる事が実際にあるわけで、そうした範囲が不用意に拡大されていくようならば、それはもはや「開かれている」とは言えないのではないか、そのように考える。
本件、「市民権」の話題ではどのような人たちが「不法移民」の対象になるのか、そもそも提案自身が法律として成立する方向に進むのかどうか、来週以降動きがあればまたこのブログで取り上げることにしよう。
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