ちいさなハサミ、道具類はOK、飛行機搭乗にて2005年12月03日 23:08

本日付San Jose Mercury News 1A面 ”Small scissors, tools to be OK on flights"より

3年ほど前、子供を連れてUSの国内線に乗ったときの話だ。子供は飛行機の中では退屈するだろうと紙とクレヨンを手荷物に持ち込んだが、その時に子供用のハサミもセットなったものを持ち込もうとして、ハサミを取り上げられた経験がある。ハサミを持ち込んだのはうっかりなのだが、まさか子供用のおもちゃみたいなものまで取り上げられるとは思っていなかった。

記事によれば、今月末くらいから一部のハサミやドライバーのような道具類の機内持ち込みが許可されるようになるとのこと。US交通省の発表だ。ただし、各空港での徹底振りについては流動的だとのこと。まあアメリカではそういう「徹底しない」ことはよくあることだが。

一方で、セキュリティチェックはより強化されるということだ。つまり、ランダムに選ばれた人はX線でのチェックの後でも手荷物を開けて中身を詳細に調べられたりするのだが、そうした人の選択数を増やすらしい。このためUS交通省は、セキュリティチェックポイントを通る時間がこれまでよりも長くなる可能性があることにも言及している。

ハサミなどの持込みを規制していたのは、そうしたもので乗務員をおどしてハイジャックする危険性を防止する目的だったのだが、現在、パイロットは銃を装備していたり、警備員が搭乗していたりなどでその恐れが少なくなったことによる。一方で、こうした細かいもののチェックに時間を費やすよりも、爆発物などをチェックすることにより注意と時間を割くようにすることが目的だ。

まあ確かに、ハサミはともかくつめきりもダメというのはありえないという感じだったわけだが、それもOKということになる。しかし私としては、ワインの栓抜きとかもOKにして欲しいのだが、これはどうなのだろう?それに折りたたみナイフセットなんかもOKにして欲しいわけだが、どうもこっちのほうはNGのようだ。

また、セキュリティチェックが厳しくなると言う点については、どの程度影響があるのだろう。”ランダムに選ぶ”というのも、あまり”ランダム”という気がしていなかったのだが(今までの経験では)。それでなくても結構ひっかかるのが、いつも引っかかるようになってしまうのは、できれば勘弁して欲しいものだ。

象徴の仕立て直し2005年12月03日 23:55

本日付San Jose Mercury News 1A面、"MAKE OVER OF AN ICON"より

”シリコンバレー生誕の地”と言えば、いわずと知れたHewlettとPackerdのガレージだ。そうガイドブックには書いてある。まあいろいろと異論はあるのだろうけれど、今の時代を築き上げた人たちが若かりしころに活動した面影を残すような場所が、これくらいしか残っていないということだ。

HewlettとPackerdがこのガレージを使っていたのは1938年から39年だということだが、事業拡大のため彼らが他に移った後は様々な人がこの家を借りていた。HewlettとPackerd自身もこの家は借家だったわけだが、2000年になってHPはこの家を買い受けた。その間、現在に至ってもこの家やガレージが一般に公開されることはなかったが、この地をおとづれる人は後を絶たなかったそうだ。

さて記事によると、この家とガレージはAnna Manciniさんの手によって新しくなった、いやいや古くなったのだそうだ。つまり昔の姿に復元されたのだそうだ。昔の写真などを元に、ガレージに置かれていた道具や装置を、できるだけ当時あったものに近いものを、その当時おかれていたであろう場所に、またHewlett夫妻は2階建ての家の一階に住んでいたらしいのだが、その当時使っていたであろう家具を置いたのだそうだ。家やガレージの内外装も、当時を復元することに努めたとのこと。そうした苦労話が紹介されている。

また、ガレージにはHPの最初の製品であるオシレーターModel 200Aが置かれているそうだ。オシレーターとは電話や音響機器の試験用の装置だ。この業界にずっといて、HPの最初の製品がオシレーターだったことを今のいままで知らなかった。

ついでに告白すると、私はまだ”シリコンバレー発祥の地”に行ったことがない。やっぱ行かないともぐりになるかな。もっとも「仕立て直し」されてもこの建物を一般公開する予定は今のところないそうだ。

さよならドバシマーケット2005年12月04日 22:47

本日付San Jose Mercury News 1A面、"SAYONARA, DOBASHI MARKET"より

San Jose市の町の真ん中に通り一つをはさんだ小さな日本人街がある。およそ十数件の日本食レストラン、お菓子や、お豆腐やなどがお店が軒を並べている。Dobashi Marketはそのうちの一つの日本食料品店だ。

記事によると、Dobashi Marketは来月店を閉めるのだそうだ。店舗は投資家グループによって買われたそうだが、今後のことについてはまだ未定なのだそうだ。

それにしてもDobashi Marketは1912年に開店して以来93年の歴史があるそうだ。それほど長い歴史があったとは。現在は4世のDobashi氏がお店を切り盛りしているそうだ。

日本人街はDobashi Marketに限らず、お店はいずれも長い歴史がある。半年ほど前の新聞の記事によると、どの店も跡継ぎを探すことに苦労しているらしい。昔は日本人街は日本人コミュニティの中心的位置づけだったようだが、住人も日本語がしゃべれない人たちばかりとなり、子供たち自身がアメリカ社会の方により順応しているということだそうだ。一部の店では経営者が中国人に変わっているらしい。

Dobashi Marketも一時期は日本人社会の中心的な店だったようだが、近年では米やしょうゆなどは普通の店で売っているし、中国人や韓国人などが経営する店で比較的安価な値段で販売するようになって、Dobashi Marketの経営も難しくなってきていたそうだ。

これも一つの時代の移り変わりということだろう。ただ正直な感想としては、そうなんだということだけだ。何しろ全然行ったことが無いもので。